2011年08月30日
夏の終わり
我が家でも、掛け軸ではあるけれど、お地蔵さんをお守りしているので、
地蔵菩薩の縁日には、近くの庵主さんに来ていただいている。

「今年も、みささん(祖母の名前)のお花、きれいになあ。よーおしたな。(良かったな)」
祖母の自慢の庭で、ちょうど見頃を迎えていた百日紅を見上げながら、
庵主さんも、祖母を懐かしんでくださる。
祖母の代から、親の代を越して、私の世帯がお地蔵さんを継ぐことになってから、
祖母に直に教われたのは二盆しか無かったけれど、
昔から手伝いで、祖母の傍においてもらえたことが幸いとなっている。

早朝から、祖母から継いだ教本を見ながらのお膳づくり。
もちろん、出汁も、動物性のものは一切ダメ。

こういった日があることで、日常の食を見直せるのは有難い。
心が喜ぶ時間、食事が、自分という素材をつくってゆくのだと再確認できる。
和菓子の師匠より、庵主さんにもと、お手製のおはぎとみかさをお届けいただく。

京都では、春は牡丹に似せるので「ぼた餅」、秋は萩に似せるので「おはぎ」と、
季節によって呼び方を変えるが、
地方によっては、漉餡、粒餡によって区別したりもするそう。

今年も庵主さんから、有難いお説教をいただいた。
「見る」とは、心に映すこと。
「聞く」とは、受け留めること。
いつも、私の姿勢を正してくださることに感謝。
毎年こうやって、地蔵盆を終えると、夏が終わるのを感じる。
沼田智子
地蔵菩薩の縁日には、近くの庵主さんに来ていただいている。

「今年も、みささん(祖母の名前)のお花、きれいになあ。よーおしたな。(良かったな)」
祖母の自慢の庭で、ちょうど見頃を迎えていた百日紅を見上げながら、
庵主さんも、祖母を懐かしんでくださる。
祖母の代から、親の代を越して、私の世帯がお地蔵さんを継ぐことになってから、
祖母に直に教われたのは二盆しか無かったけれど、
昔から手伝いで、祖母の傍においてもらえたことが幸いとなっている。

早朝から、祖母から継いだ教本を見ながらのお膳づくり。
もちろん、出汁も、動物性のものは一切ダメ。

こういった日があることで、日常の食を見直せるのは有難い。
心が喜ぶ時間、食事が、自分という素材をつくってゆくのだと再確認できる。
和菓子の師匠より、庵主さんにもと、お手製のおはぎとみかさをお届けいただく。

京都では、春は牡丹に似せるので「ぼた餅」、秋は萩に似せるので「おはぎ」と、
季節によって呼び方を変えるが、
地方によっては、漉餡、粒餡によって区別したりもするそう。

今年も庵主さんから、有難いお説教をいただいた。
「見る」とは、心に映すこと。
「聞く」とは、受け留めること。
いつも、私の姿勢を正してくださることに感謝。
毎年こうやって、地蔵盆を終えると、夏が終わるのを感じる。
沼田智子